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バンドを諦める。その心理とは。諦めたらすべてが終わりなのか?

バンドを諦める。その心理とは。諦めたらすべてが終わりなのか?

バンドを諦める。

苦い現実ですが、メジャーデビューを目指してインディーズでCDを何枚かリリースし、ライブハウスをブッキングしてライブ・・・。それでもお客さんの数よりもバンドメンバーの数のほうが多かったりして、ヤケになって打ち上げでビールを飲みまくり・・・。

対バンならもうちょっとお客さんが増えるかなと思っていたら全然増えなくて、またヤケになって打ち上げでビールを飲みまくり(やはり飲むんかい)・・・。

こうなるともう苦いのがビールなのか現実なのかちょっとわからなくなってきます。

たまたま開催したライブにYOSHIKIさんが見に来ていて、それでメジャーデビューへの道を開いたGLAYも、ある日の横浜アリーナのライブで「続けても夢が叶わないこともある。それが現実です」とおっしゃっていたことがありました。

私自身、ヴァイオリンを弾くかたわら、バンドの中でギターも弾いていました(最近はヴァイオリンのほうが忙しくて弾けていませんが。使用楽器はムスタングで、一応ですがRADWIMPSの「前前前世」や椎名林檎の「NIPPON」などを人前で弾いたこともあります)。

スポットライトを浴びながら舞台でギターを弾くことの難しさを一応は味わったことがあるだけに、好きなことで食べていけないという諦める気持ちはやはり分かるのです。

同時に、愛着の持てないサラリーマンの仕事を続けることの虚しさも分かります。

その心理について深堀りしていきたいと思います。

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舞台に立つことの難しさ、そして諦める心理

自分のことを実質的にかなり盛り込んでいるであろう又吉直樹さんの小説『火花』はご存知ですか。
この小説の主人公「僕」は漫才師になりたいという夢がありました。なんだか身につまされる話ですね。

「僕」は漫才師になりたくて、努力を重ねた。

何度もネタを工夫して、舞台に立った。

自分の話で笑いを取る喜び、誰も反応しない辛さ、両方を味わった。

努力に努力を重ねて、ついに分かった。

「この道では食べていけない」と。

そうした実感に辿りついた「僕」はこう独白します。
僕は小さな頃から漫才師になりたかった。僕が中学時代に相方と出会わなかったとしたら、僕は漫才師になれただろうか。
漫才だけで食べていける環境を作れなかったことを、誰かのせいにするつもりはない。ましてや、時代のせいにするつもりなど更々ない。

世間からすれば、僕達は二流芸人にすらなれなかったかもしれない。

だが、もしも「俺の方が面白い」とのたまう人がいるのなら、一度で良いから舞台に上がってみてほしいと思った。「やってみろ」なんて偉そうな気持ちなど微塵もない。世界の景色が一変することを体感してほしいのだ。自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。

必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。

無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識をくつがえすことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。

この長い年月をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。
(注:モバイル端末での読みやすさを考慮し、改行を若干調整させていただきました。)

どうでしょうか。

この記事をお読みのあなたも、「僕」のように幾度となく舞台に立ち、「緊張」や「不安」、冷めきった観客席といった「魔物」と戦い、ときには自分が上げた右手にお客さんもやはり手を上げて左右に振ってくれたり・・・。そんな経験をお持ちではないでしょうか?

それでもこの努力は金銭的な意味では実を結ぶことがなく、音楽以外のことをして食べていかなくてはなりませんでした。

『火花』では、その努力を決して無意味なものとみなしているわけではありません。

「無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識をくつがえすことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。

この長い年月をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う

そう述べられているのですから。

無駄な努力と笑われても、それを跳ね返せる力のある者だけが、漫才師に、ミュージシャンになれる。
その実感を得た今、「僕」は他の誰でもない、借り物ではない「自分」の人生を生きることができるようになった。
そのようなことが述べられています。

音楽に打ち込んだことは無意味ではない

私自身、ヴァイオリンやエレキギターの演奏でお金を稼げるようになることは一生ないでしょう。
それでも、毎日何時間も練習に費やしていること、そこに充実感を感じられている自分に感謝しています。

残念ながら世の中のサラリーマンのほとんどは「営業成績」や「出世」といった「社長のものさし」を生活の支柱としています。同窓会に出席すると「アメリカ支社に転勤になるかも(笑)」「いやー、その有名商社と契約が取れたよ」など、本当の意味での自分の力ではなく「会社の看板」を使いながら意味のないマウンティングが始まりがちなのはそのためです。

「会社の看板」をたてに自慢話をするのは、足の震えを隠しながら舞台に立ったあなたと比べると正直かっこ悪いです。

しかし、私達には音楽という別の柱があり、「社長のものさし」と無関係にその柱を心の支えとして生きていく事ができます。「社長のものさし」ではない、自分の柱を意識しながら暮らしていくこと、これは「他人の時間」ではなく「自分の時間」を過ごしていることであり、私はこの状態をこそ「生きている」と言いたいのです。

だから、バンドを諦めた方にこそ私は言いたい。
音楽で食べていくことはできなくても、舞台に立ったことを誇りに、音楽とともに生きていくことはできると。

どうかこの記事をお読みの皆様、音楽の素晴らしさを何らかの折に次の世代にも伝えていっていただけたらと・・・、そう願わずにいられません。

【補足】

ちなみに引用した又吉直樹さんの『火花』は本当に素晴らしい小説です。
気になる方のためにリンクを貼っておきます。

引用元はこちらです。記事に関するご質問は引用元へお問い合わせください。http://bocchi-science.net/archives/20203793.html

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